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語録 捜せ! リンク
脳内的山田章博

最初に:このデータは新旧の書物から引用したもので、現在の山田章博像と同一のものではありません。
で、デビュー20年を過ぎ、データ的にあまりにも混沌としてきましたので、再整理を行ない、その際にいつの事柄かを日付で各事柄の後ろに付けていくことにします。

◆生年月日:1957年(昭和32年)2月10日(水瓶座/酉年)

◆結婚記念日:12月23日

◆漫画家歴:デビューを商業誌「ALLAN」掲載時とすると、1981年。2016年で35年に。2021年で40年に。

◆ニックネーム:画伯(1988年10月雑誌「クレッセント」掲載のエッセイにて)

◆生誕地:高知県高知市。

◆血液型:O型
◆身体的特徴:身長=164cm 体重=47kg(1982年現在)

◆華麗なる身体アクシデンツの数々
●去年3月に腎臓結石で緊急入院。この時、森脇真末味先生のアシスタントに入ることになっており、入院するから行けないと電話したら、そんなの困るどうしてくれる、とひどく怒られたとのこと。で、入院中に商業誌デビュー。(1982年「えけれしゃ」)
楡達也さんの近況報告の中で、新会員の青年がなかなかの健康優良である事を指弾し、「あんな健康的な肉体をしてマンガが描けるものだろうか?なあ、山田さん。老婆心ながら、尿道結石をわずらうことをおすすめしたい。筆者も山田氏もこの病を乗り越えての今日なのである。」とあった。「MARINE LAND」No.45は、次号の原稿締め切りが10月25日とあるので、おそらく10月上旬の発行。
●1994年胃潰瘍で入院しているときに、エニックスからゲームソフトのキャラクターデザインの話が。(2000.「山田章博の世界 ミスティックアーク アートワークス」)
●前年(1995)に体調を崩して入院してしまいました(確か雑誌後書きのご本人のコメント)
●猫のクーにつまずいて、山田センセが階段から落ちました(笑) で、左手の骨にヒビが入ったみたいで全治一ヶ月かかりました(2000.11.20菜露様)
●頚椎損傷の為、しばらくお仕事をお休みする事に(2001.8.29菜露様)
以下、『緊急レポート、山田章博−看護婦にウハウハ。リハビリに大満足!』(笑)(勿論菜露様)
かねてより、背骨がガタガタだった先生は、なんだかんだいって、病院行きをしぶっていたんだけど、さすがに首まで曲がらなくなって、とうとうお医者さんに行くはめになりました。 周囲は爺さん婆さんばっかりで、実にほっこりと山田ごのみの空間。 看護婦さんは茶ぱつのギャル系で、ピンクのコスチューム。 前時代的SM、もといSFチックな機器類に囲まれて、通称『首吊り機』に吊るされているお姿は、実に山田ワールドしておりました。 これがまた気持ちいいらしく、通称『タコ』『電機椅子』など、遊園地に行ったお子ちゃまのごとく、次々と渡っておられました。(笑)
てな訳で、姑くは毎日リハビリの日々が続きそうです。 仕事は全部は休めないので、ボチボチやりながら…なんだけど、体が痛いわりには、妙に明るい(笑;) 背中から頭までがつっぱった状態で、下が向けない『椎間板ヘルニア』という病名。 首も椎間板だったのかぁ…と、感心した菜露でありました。 ちょっとでも休めてウレシイらしい、今日の山田クンでした。(笑) ま、そんなに心配はいらない程度らしいので、単行本の発売にはひびきませんから、安心してネ。
●山田センセイは、とっても調子が良くありません。一時的なもんなんでしょうけど、吐き気がひどくて、ムチウチによく似た症状です。それでも〆きりがあるので、頑張ってるヨ(^-^)(以上4項目は2001.9.29菜露様)
●バイオ・ノート買ったのに唯のDVDプレーヤーと化している。キー打ってると首痛い。(2002年「コミックバーズ3月号)
●夜はスポーツトレイナーの方に来ていただいて、山田先生の自宅治療。頚骨と背骨や腰骨の治療が見ていてとても気持ちよさそうだったので、菜露もやってもらう事に。(2003.2.19 10:55:43菜露様)
●山田センセは恒例の『胃潰瘍』が若干再発したので、早め早めに病院に送り込んで、胃カメラ飲んだり、楽しい検査中デス♪ なので、また!「BofE」をお休みさせて下さいませ;; ごめんねぇ〜; 暑かったり寒かったりしたじゃない? 寒暖の差に弱いのヨ; 結果は一週間程で出ますが、通院ですむと思うので、ご心配には及びませんが、ご迷惑はおかけします(ははは;;)以後の仕事にはさほど影響が出ないかと思います。毎年夏には弱いので、セーブして乗り切りますワ。(03/06/04 17:26:32菜露様)
●山田センセのその後ですが、多少休みながらやっているおかげで、体調が良くなりつつあります。やはりこの年になると、週に一度は遊ばないと続かなくなってきましたねぇ。山田センセ、行きつけのマッサージが出来まして、すっかりハマっています。(笑)そこの女の子は山田好みの中国の方で、紅色魔術探偵団のリカちゃんに似ているんですよ! 片言でちょっと乱暴モノです。(笑)お誕生日にプレゼント(私から)をあげたら、喜びの舞(太極拳の様なヘンな踊り)を踊ってくれまして、ムービーメールで送ってくれました;; んん〜、ヘンな女の子が山田センセは好きみたいです。(爆;)(03/06/09 10:09:15菜露様)
●夏本番! で、やっぱくたってマス; 夏の植木は一日二回の水やりが基本!! 午前と午後にお風呂に入れて、休憩は二時間弱。二日に一度のマッサージ通いが、欠かせない山田センセです。(03/08/03 11:11:03菜露様)
●生まれつき片目の眼球に傷があるのですが、それが悪化(?)していたようで、下を向いて細かい描き込みを長時間やっていると、眩暈と吐き気がひどく、この一年、漫画が描けなかったようです;; 本人、原因がわからず、「また潰瘍かなぁ?」と思っていたのだそうです。 先日やっと原因がわかり、お医者様から回復に数ヶ月かかると言われました;; んなワケで、各編集社様と協議の結果、新規のお仕事は一年近く延期になりました。 現在継続中のお仕事は、すでにお引き受けした単品のイラストのお仕事と、単行本の追加&直しが終われば、『BofE』のみとなります。 目の治療をしながら、ゆっくりと負担のないスケジュールにしました(04/09/18 10:38:48菜露様)
●3度目の胃潰瘍→胃穿孔。4月7日から5月10日までご入院。新しい手術法により、15年間付き合ってきた投薬治療とも決別、完治に向けてリハビリとのこと。あ、腹は30センチくらいに渡り、皮膚縫合しないまま、何かの拍子で出血する可能性大のまだまだ要安静状態とのことでした。(2008.04.11 Friday・05.10 Saturday菜露様 奇楽家本舗通信)
●約1か月後に大阪まで電車で出掛け会食し、手術跡悪化。(2008.07.23 Wednesday菜露様 奇楽家本舗通信)
●胃潰瘍開腹後、経過観察だった腹部縫合を10月25日から入院手術、11月下旬退院。(2008.12.5 コミックナタリー記事 11.21 Friday菜露様 奇楽家本舗通信)
●マニアの方から付け焼き刃の謗りは承知の上ですが、入院中、何となくマスクフェチが理解出来ました。(2009年「コミックバーズ1月号」)
●ヘルニアを再発(一度目はいつ?)、要手術とのこと。(2009.12.02 Wednesday菜露様 奇楽家本舗通信)
●延ばしに延ばして、やっと入院手術したとのこと。(2010.04.23 Friday菜露様 奇楽家本舗通信)
●江口寿史先生「5分スケッチの極意」の公演が京都国際まんがミュージアムで。この日の京都はもの凄く暑く、会場にたどり着く前に熱中症になっていた模様で、講演1時間が過ぎたあたりで「気分が悪い…」と退席、帰宅、安静。(2016.08.17 Wednesday菜露様 奇楽家本舗通信)
●11月3日胸の苦しみを訴え、翌日病院に行くと「急性心筋梗塞」との診断に、「東福寺の隣の病院」に緊急入院、カテーテル手術を経て、一命をとりとめ、16日の入院生活後退院。(2016.12.16 Friday菜露様 奇楽家本舗通信)
●一年後に心不全で再入院(2019.5.12 Sunday菜露様 奇楽家本舗通信)〜そう言えば、2018.5にお会いした時に、「遠出はお医者さんに止められてるけど、もう大丈夫なんやけどな。この前も神戸まで行ってきたし」とか仰られてて、そりゃ1年以上経つのにえらく慎重なお医者さんやなと思ったんですが、実は心筋梗塞後に心不全やらかしてたということでしたか!(2019.5.18砥部)

◆出身幼稚園:聖母幼稚園(高知県高知市本町5丁目6-29)
◆出身高校:高知県立高知西高等学校(高知県高知市鴨部2丁目5番70号)
高知南高校との併合により、高知西高校は今年度(令和4年度)の卒業生を最後に統合・閉校となるのでした。 2022/4/3 15:34 掲示板に初音むつなさん
●所属クラブ:演劇部−舞台美術担当
●50周年−2007年(平成19年)−に寄せて「ドワーフ」のイラスト(公式サイトに2009年に掲載)描かれたものあり。 (2009年4月17日 (金) 23時20分56秒 初音むつなさんの公式オフ会報告の中で)
「創立50周年記念誌 高知県立高知西高等学校」がそれ。発行日は平成20年2月29日です。どこの学校にもある周年記念誌ですが、この1冊は実は山田センセの関連資料でもあります。
まず、「歴史」と題された学校略史のコーナーの「昭和43年〜52年」の中に、山田センセの寄稿文が。P37の下段にある「平々凡々」と題された一文がそれです。短いながらも山田センセ(16期生)の高校時代のエピソードが活写され、現役生へのエールともなるなかなかの名文。
高校2年生の頃に、正式なクラブではないものの小さな愛好会が出来た事、またその2年生の時の文化祭で、顧問の先生が展示用に漫画家に依頼して原稿を借りてくれた事、そこでプロの原稿をはじめて目の当たりにした際の感動が、そこには記されています。このあたり、これまで他で語られた事はない気がしますので、出身校の記念誌ならでは、という感じですね。しかし「山田章博が出来るまで」が書かれる事があれば、決して外すことのできないエピソードでありましょう(^^;)
ちなみに寄稿文に添えられた顔写真は、よく登場する「西遊記」攻略本のインタビューの時のものでした。
ページを先に進んで「活躍する卒業生」のコーナーでは、美術・芸術系の卒業生6名のうちのおひとりとしてピックアップされていました。P66下段に掲載されているイラストは、2009年2月頃に「公式」のTOP画像として使われていたドワーフのイラスト。おそらく自画像なんですが、いつ見ても素敵な1枚ですね。
2022/4/3 15:34 掲示板に初音むつなさん

◆子供時代:
●腕白坊主、ケンカもよくした。5歳の時にオート三輪に轢かれた。中学は天体が好きで、近所のプラネタリウム(既に廃業撤去済、現市営球場)の週替わりプログラムを欠かさず見に行ってた。
このプラネタリウムについて:1966年(昭和41年)3月〜5月に開催された「南国産業科学大博覧会(南国博)」で鏡川沿い(潮江天満宮のお隣の敷地です)の第4会場に設置されたもので、博覧会終了後も「こどもの国」として運営が続けられていたものだそうです。山田センセが高校2年生だった昭和49年(1974年)3月で営業を終了し、跡地は高知市総合運動場に。「南国博」の当時、山田センセは小4〜小5というあたりだったと思われますが、結構盛大なイベントだったようなので、多感な時期の山田センセがどんな印象をお持ちになったのか、いつか機会があれば伺ってみたいですね(^^;)
潮江天満宮(うしおえてんまんぐう)。天神町の名の由来になった、筆山と鏡川に挟まれた所にある神社です。初詣では例年20万人近い参拝者を集めるとの事で、境内はなかなかの広さ。江戸末期の嘉永6年(1853年)に造営されたという楼門や、名匠島村安孝(三四郎)の手になるというその彫刻が実に見事です。
さてこの潮江天満宮、実は「ひさうちみちお&やまだあきひろ」収録の「山田章博少年のヰタセクスアリス」に登場する、山田少年が小学校一年の時分に近所の子供達と寄り集まっては隠れんぼなどをして遊び暮らしたという、あの神社なのでした。いやはや、山田センセ、なかなか凄いものに囲まれて育まれてらしたんですねえ。今回ようやくたどりつけたというのに、初音は頭上の躍動的な彫刻群に見とれてしまい、山田少年が見つけたという楼門の美女は探しはぐれてしまいました(^^;)
ちなみに「OUT」1993年10月号の「Scrap Voice」で、時代物や講談物に対する山田センセなりの解釈を育んだ一要因として取り上げられていた、小さい頃、天神祭の宵宮で見たという村芝居。その天神祭の現場もまた、この潮江天満宮なのでありました。
2022/4/3 18:22 掲示板に初音むつなさん
●高校受験は今の成績では絶対無理と言われたが、受かった。高校での苦手科目は数学と英語、漢文。真面目にやったひと月だけは学年主席だった。1982年「えけれしゃ」

◆漫画家以外の職業
 ▽彫師なんか面白そうですね。背中にコマ割りなんかして。(1982年「ぱふ10月号」インタビュー)
 ▽子供の頃、演歌師になろうと思ってバイオリンと大正琴を習った。最近はカリンバとエレピを買った。何て無節操。(1996年「コミックバーズ11月号」)

◆出身大学:大阪経済大学経営学部経営学科
◆文化活動:奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所会員(奈良県橿原市畝傍町1番地)

◆ご家族:お兄さんがおられます。邦博さん。ホームページあります。 http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=scarecrow52
お父上は健雄、(1度改名してらして、以前は菊松だったそうです。郷里は安芸)お母上は美子(50歳代の時分で林檎を素手で割れた)。叔母さんは玲子。実家は「山田毛織」というお店で高知市帯屋町にありました。
現在の英国製紳士服地卸商「洋馥館」は、邦博さんが興されたそうです。邦博さんとこには娘さんがひとりいらっしゃいます、先生の姪っ子さんですね。(邦博様に情報をいただきました。)-020402
住居は入明町。高校ん時は天神町。

●預かってるものすごく悪い猫、すぐに同情を買おうとする「おしん」って名前をつけてやった。三毛っていうのかな、とにかく模様がきたない。タイガーマスクみたいにシマが入ってる。ミル・マスカラスみたい。僕はどっちかっていうと犬の方が・・・。大型犬が好き、アイヌ犬とか。(1983年「ひさうちみちお&やまだあきひろカ・ン・サ・イ・マ・ン・ガ・大全集」)
●ねこタンコ、14才5ヶ月、ばあさん、不細工というと怒る。ちいコ、6才14カ月、いかす後家、ものすごく頭が良くて誰にも嫌われない。(1995年「うちの猫がいうことニャ」)
●愛猫の名前は「ねぇね」。「QOO」は2000年5月頃から参入。そう言やカラスの「かーくん」ってのもいました(飼ってるワケぢゃないようですが・・・)。奇楽家本舗通信の菜露様の言によれば、屋根裏にフクロウ、床下にタヌキも居た様です(2009年に皆さん撤退)。
(菜露与糸可様に情報をいただきました。)
●最近わが家に子猫が一匹加わりまして、名前は『アタシ』と言います。 仮の名前で、飼い主を探しています。(本気!) もともと「ネコが欲しい」という知り合いがありまして、1月から子猫を探しておりました。で、別の知り合いのお宅で、ノラ猫が子供を4匹生みまして、丁度貰い手の数と一致したので、それぞれのお宅に引き取られる予定でした。 ところが、2軒のお宅では、赤ちゃん猫を育てた事が無く、「しつけもお願い」という訳で、2匹を預かりました。で、1匹は順調に育ち、10日で引き取られたのですが、1匹は未熟児で、未だに自力でお水が飲めません; 結局、引き取り先にも断られ、ウチに居るわけです; やっと生後1ヶ月になりました♪ 半月は、2時間おきに栄養剤入りミルクを飲ませ、体調も崩しやすかったのですが、母親のミルク代わりに私の唾液(抗体を付ける為)を飲んで育ったおかげで(笑;)異常に元気な強い子になりました! 現在は、猫カンを日に2缶食べ、水分だけはオモチャの注射器(歯が生えたので、哺乳瓶だと吸い口を噛み裂いてしまう;)で飲ませています。 元々居る大人猫、ネネとクーは、ジャレつき追い回されて、逃げ惑い、挙句、天井裏で細々と暮らしております; 女の子で、三毛縞の、ストレートの尾長です。美形子顔で横顔がアイドルの『あびるゆう』に似ています♪(菜露与糸可様に情報をいただきました。04/05/26 10:33:48)
●そうそうお知らせですが、ネェネちゃんが亡くなりました。この数ヶ月は週に1or2度、獣医さん通いをして点滴をうっては持直しを続けてたんだけど、さすがに15年生きましたからね。老衰って自然でよいなぁと思います。絶対泣く!と思ってたのに、全く悲しくなかった。彼のキャラクターらしく実に爽やかな終わり方でした。山田先生は多少狼狽しました。仲が良かったからナ。ネェネちゃんファンの皆様、可愛がって頂いてアリガトウでした。 (菜露与糸可様に情報をいただきました。2005年6月21日 (火) 10時04分59秒 )
美しいモノをこよなく愛する彼は、衰え行く肉体が許せなかったようで、点滴で永らえるのを最後には拒否し、二日間、向かいの空家の床下にお隠れになりまして、土砂降りの中、瀕死の状態で2メートルの壁を越え私のもとへ。胸に抱かれた瞬間に事切れました。いやぁー最後まで美学を貫きましたヨ。 (菜露与糸可様に情報をいただきました。2005年6月23日 (木) 14時23分21秒)
●くーさんも2012年4月にお亡くなりに。 (初音むつなさんに情報をいただきました。2012年6月2日 (土) 23時03分59秒 ※ 詳細は「奇楽家本舗通信」をご覧ください。 )
●裏の実家(空き家)から救出、白い猫。パフという名前は先生が付けたようです。(2012.06.02 Saturday菜露様 奇楽家本舗通信)
●山田パフ嬢は2012年には公式の顔に。
●同時期から二階のベランダに居付いたという子猫2匹「アメショの雑種がウリちゃん、シャムの雑種がシャミー」とのこと。2匹とも子猫を生み、シャミーの子3匹中2匹は養子に。残った1匹は、ロズウェル・ブッセという白猫。ウリは外猫なので2匹の子猫(ヘたれとアカンたれ)もお外、シャミーとロズウェルは飼うことに。(2015.01.04 Sunday菜露様 奇楽家本舗通信)

◆活動拠点:京都
●河原町にある「ソワレ」(京都府京都市下京区西木屋町四条上ル真町95)という喫茶店は、先生のオススメだそうです。(1984年「すうべにいる」にもご自身で書かれてますね)

◆会食(上にオススメのお店が出たのでそれ繋がりということで)
●神戸三宮 駅前「喫茶 古院」(1983年「ひさうちみちお&やまだあきひろカ・ン・サ・イ・マ・ン・ガ・大全集」の「酒について」にて、学生時代によく酔い覚ましに寄った。2016年ネット検索しても見当たらず)
●東京市ヶ谷「喫茶 オアシス」(1984年「すうべにいる」の原稿を持って上京した先生が利用。2016年ネット検索しても見当たらず)
●「モリタ屋」(木屋町店:京都府京都市中京区木屋町三条上る上大阪町531または四条猪熊本店:京都府京都市中京区猪熊通四条上る錦猪熊町521番地2F)出渕裕監督御一行と。
●「秘密結社ショッカー」(京都府京都市中京区河原町通六角東入ル山崎町234 NBビル 2F)先生は「蜂女」ご注文。(2店ともに2006.09.22 Friday 菜露様 奇楽家通信)
●「のん亭」(京都府京都市中京区先斗町通四条上ル鍋屋町17)出渕裕監督御一行と。(2008.09.11 Thursday 菜露様 奇楽家通信)
●「Bar K-家(けーや)本館」(京都府京都市中京区六角通御幸町西入ル八百屋町103)出渕裕監督御一行と。(2010.09.29 Wednesday 菜露様 奇楽家通信)
●「鳥彌三(とりやさ)」(京都府京都市下京区西石垣通四条下ル斉藤町136)出渕裕監督御一行と。 (2013.10.17 Thursday 菜露様 奇楽家通信)砥部注:ミシュランひとつ星取得おめでとう御座います。(2016年10月現在)

◆1981年6月4日に楡達也さんが結婚。結婚証人を山田センセとどんきーさんが務めた旨の記述があります(文中に「長すぎる春はよくないんですよ」という山田センセからのコメントあり)。(「MARINE LAND」No.42 p.23編集室だより)

◆お宅
●平凡な四畳半(手前の履歴書に「京都市伏見区深草直違橋10-157」と)今度また引っ越します。今度は六畳、三階で明るい。1982年「えけれしゃ」
●引っ越したんですが、時期が悪く、電気屋が忙しくてまだ仕事部屋にクーラーが付いてない。京都の夏が来るのに。1998年「コミックバーズ8月号」
●家は蛍光灯の上に雨が漏る。漏電が恐いので部屋の灯りを消し、電気スタンドで仕事をしてると深夜の受験生みたい。1998年「コミックバーズ12月号」
●キッチンと一階奥の二部屋を改装するだけで、改築状態がすでに二週間。この家が建って40ん年ぶりに陽を浴びた地面を掘り起こし、柱を2本多めに入れました。これで大量の本の重みにも耐えられますワ♪ 引っ越して来た当時は「5年持たない!;」と言われていたこの家に住んで早6年目に突入。マジで壊れる寸前だったようで、昨年来、屋根を直し、二階を改装し、一階を改築し、連休明けには山田センセの生息する『秘境』三階を改装いたします!! その後、大家さんによる外観のメンテナンスを経て、大工さん曰く「何年でも住める家」に生まれ変わる予定です。という事で菜露、引越しをあきらめたのでした(笑) 『秘境』が更に『山田センセ好みに改装(改築)』されるのですから、もうアノ『巣』から山田センセが離れる事はない!と思われます。例えば野生動物や虫などが巣を移転する場合は、なんらかの災害により巣が崩壊、水没した時です。
山田家の二度にわたる移転はまさにそれでした。一度目は本の重みでアパート(三階)の床が抜け、階下の住民に生命の危険が及んだ折。二度目は阪神大震災により、家屋が真っ二つに割れ、雨が直接室内に降り注ぐ状態に二年近く耐えた後。この度は屋根に穴の開いた状態で四年住み続け、とうとう家屋の老朽化による漏電、下水管(エンカビニール)&水道の破損による水漏れ、ガス漏れで、引越したかったにもかかわらず、山田センセが三階の巣を気に入っているという理由のみで『改築』にふみきったのでした;;; この夏には三階に山田パラダイスが出来上がっているのかなぁ、おそろし、おそろし;; 昨日やっとシステムキッチンが運び込まれましたが、まだ水もガスも通っていません。トイレにはチャリンコでダイエーに通っています。5月3日には使えるようになりそうです。

(菜露与糸可様に情報をいただきました。話し半分くらいに聞いといてください。03/04/27 11:40:49)

◆教鞭
●真山仁先生の事務所のKさんは中学生の頃、学校で開催された「お絵かき教室」で作画を担当していた山田センセ(デビューが決まって間もない頃)の絵を見て以来、ずっとファンを続けて下さっている。
2012.07.15 Sunday 菜露様 奇楽家本舗通信より)
●1992年近所(京都市)の小学校の父兄会で講演「子供と遊び」
●2004年インターナショナルアカデミーのコミックスクール全4回の講義。3期のみを担当(もしくは2期も)。 (柘榴さんに情報をいただきました)
●京都精華大学 2004年4/12から三回生を月2回。
●2006年5月18日1時間。伏見高校デザイン科にて課外授業。120名参加。
●2013年4月1日にマンガ学部マンガ学科の客員教授に就任。主にキャラクターデザイン領域を担当。月1回程度学生への作画指導を行うほか、多岐にわたるコンテンツ業界での経験を講義していく。
2012年7月11日 (水) 15時26分08秒 セツコさん)

◆華麗なる原稿発送への道程
1.最寄の店から宅配便で出す。
2.4時以降に上がった場合は、宅配業者に取りに来てもらう。
3.新大阪まで行って、新幹線便に乗せる。
4.あせっている場合は、新幹線便&バイク便で、編集部まで届けてもらう。
5.次の〆切りを抱えていて二人とも動けない場合は、バイトか自転車便に頼んで新幹線便に乗せる。
6.6時以降に上がった場合は、京都駅からブルートレイン便(夜行、朝5時着)に乗せる。
7.新幹線で東京駅で原稿を受け渡す。
88.山田先生が、東京まで行く。
9.編集部かホテルで缶詰になる。
10.原稿をメールで送る。
11.印刷所で描きながら印刷する。
12.山田先生がダウンした場合、菜露が東京で缶詰になる。(背景やベタ、トーン処理)
13.山田先生と菜露が、東京と京都に分かれて描きながら、ファックスやメールでやり取りして原稿を上げる。
14.落とす。
一日に〆切りが2本〜5本ある場合が多いので、ネームやキャラ絵ラフ等は、ファックスかメールで送ります。一色原稿は、メールで送る場合もあります。カラー絵や一色原稿の締め切りが重なってる場合も多いので、一日に宅配便3通なんて当たり前で、新大阪(新幹線便)へ2度3度行ったり、東京駅まで3回往復する事もあり、最後には夜行に乗る事もしばしばです。原稿の配達状態の問題ではありません。東京に行く場合は、新幹線の中で必死で描いたり貼ったりしています。(笑)
(菜露与糸可様に情報をいただきました。勿論、全て鵜呑みにしてはいけません)
◆遅筆でなく仕事抱え過ぎ
山田センセはねぇ、取り掛かるのが『遅い』わけではないいんですヨ; ホンっとに、仕事が多すぎっ!; アニメのキャラデザは、週に2回締め切りがあって、リテイクもあるから、デザイン画だけで20点以上描くんですネ。挿絵の下絵が10点。カラーの下絵が6点。カラーの本描きが4点。これが一週間の基本的仕事量。これにイベント用イラスト(色紙等も含む)に、月に1本のネーム(ストーリーですね)16ページ。新連載の全ストーリーと企画の提出。映画のシナリオのチェックと、企画案のまとめ提出。イメージイラスト20点の提出。などなどが加わるわけで、一日の締め切り相手は、3〜9社です。皆さんにはご迷惑をおかけしますが、端から無茶な依頼内容のわりには、山田がんばってるゾと誉めてあげてます♪
(菜露与糸可様に情報をいただきました。勿論、全て鵜呑みにしてはいけません)03/04/01 10:26:52
●遅筆なんですか?−遅いですね。実際に描く作業というのはかなり早いらしいんですけど、とりかかるまで結構時間がかかってしまう。(1982年「ぱふ10月号」インタビュー)

◆カンヅメ
活人>創刊号(砥部注:1985年)ですネ。菜露が『東京・業界人』嫌いになった原因の仕事です。(笑) 秋本さんのプロデュースで、後藤次敏さんとカップリングのお仕事だったと思います。この頃、15程の仕事が重なって、東京のホテルで2ヶ月以上カンズメになりまして、滞在費が60万円を越えました; 渋谷パルコ前をジャージ姿で歩いていたので警備員に取り押さえられたり、ライオンズマンションへの入り方がわからず、非常階段の柵をよじ登って転落したり、滞在中の東武ホテルのフロントにつまみ出されたりしました。(笑)
(菜露与糸可様に情報をいただきました。勿論、全て鵜呑みにしてはいけません) 2005年4月29日 (金) 10時16分00秒
ふぁんたすてぃか>この号(月刊WHAT9月号1986年8月6日発売)が出る頃には、京都の粋な避暑地。貴船の旅館の一室で”すうべにいる”の絵をまとめていることでしょう。
砥部注:貴船の旅館=貴船川の川床で涼をとりながら食事が出来る旅館が数軒、軒を連ねてるみたいでどれとは特定でき兼ねました。
(菜露与糸可様の月刊WHAT9月号手作り広告内にて。”すうべにいる”は第二集をつけ忘れたものか?)

◆画材
▽文字はガラスペン。絵は面相筆とガラスペン。紙は画用紙。(1982年「ぱふ10月号」インタビュー)
▽彩色用の紙は、ワトソン紙か、ベランアルシュ。一色原稿用に、ダイエー30枚綴り画用紙。絵具はポスターカラーと透明水彩、時々水性色鉛筆やパステルチョーク。(1994年「ザ・スニーカー春号」対談)
▽カラー原画には、ホルペインの透明水彩をベースに、さくら、ぺんてる絵具を使用。暗い部分や深みが欲しいところにターナーのポスターカラー。細かい部分にトンポ、三菱の色鉛筆。
 補助画材について。紙はダイエーで売ってる高級水彩用厚口画用紙30枚綴り。(1995年「コミッカーズ冬号」インタビュー)
▽基本、ピグマと筆ペンで画用紙に。絵具には、お茶・コーヒーも混ぜる。ポスターカラーに砂糖水入れてかびさせる。(1996年「コミッカーズ秋号」インタビュー)
▽ 原稿用紙 コクヨ画用紙
  ペン先 カラー時ゼブラの丸ペン
  ペン軸 カラー時ゼブラの丸ペン用軸
  インク カラー時ホルベインのセピア
  ベタ セーラー万年筆タイプ筆ペン
  その他のペンや筆 ピグマ・三菱万年筆タイプの筆ペン
  ホワイト 修正用フエキEASK・白描線用ターナーポスターカラー
  ホワイト用筆 得應軒鼬毫白桂(面想)大
  消しゴム ヒノデワシまとまるくん
  下描き用鉛筆 三菱ユニB
  定規 学童用定規分度器セット・36センチスケール
  よく使うトーン アイシースクリーンS-70
  トーン用カッター オルファデザインカッター
  トーン押さえ 手の爪
  描く時の机 辞書の上に写生用画板立て掛け
  道具以外で必要なもの なし
  (1999年「コミッカーズ冬号」アンケート ほぼ丸写しになってますので、不味かったらご連絡ください)
   ※砥部注 得應軒鼬毫白桂(面想)大ですが、通常は面「相」、「想」の使用も時々見かけますが。面相筆という日本画の細線用の筆。因みに、得應軒ブランドは生産量も少なく、稀少とのこと。と言っても高額なわけではなく、該当のものは千円もしませんが。(丹青堂ホームページより。得應軒の公式サイトもあるんですが、よさが伝わらないというか、該当の筆がありません)
  ヒノデワシのまとまるくんは大正時代創業の老舗、和紙の会社?と思うが、「日の出鷲」だった。消しカスが本体にくっついて散らばらない、1個100円。(ヒノデワシホームページより)
▽彩色用に削用筆(小)、水刷き用に小さめの刷毛、ディテールなどを描き込む仕上げ用に面想筆(一般的には面相筆)。(1999年「色彩王国 3」はじめての筆選びコメント)
▽掲載のイラストへの使用:紙(アルデマンII)、絵の具(HOLBEIN透明水彩)、コピック、色鉛筆(FABERCASTELL)、アクリルガッシュ、ブレンデッド・ファイバー、カラーインク。(2001年「コミックガム 6月号」)
   ※砥部注 アクリルガッシュ 速乾性絵の具。色々な素材用あり(金属、石、木他)。ブレンデッド・ファイバー 毛羽立ち演出の下地剤。
▽掲載のイラストへの使用:紙(ワットマン)、絵の具(HOLBEIN透明水彩)、コピック。(2001年「コミックガム 8月号」)
   ※砥部注 ワットマン水彩紙は高級みたいです。但し、手漉きから機械漉きまで色々と段階があり、価格もそれなりのようです。2010年頃生産中止。
▽掲載のイラストへの使用:カラーインク(セピア、主線のみ)、COPIC、ホルベイン透明水彩、コットマン水彩画紙。(2001年「コミックガム 2002年1月号」)
   ※砥部注 コットマン水彩画紙は一般的で入手しやすいようです。メーカーによって名前がマチマチ。
▽水彩紙に透明水彩でシャドウをつけてコピックで彩色。(2007.04.20 「フロントミッション・ワールドヒストリカ」インタビュー)
▽ボールペン 三菱鉛筆uniSTYLE-FIT(2016.05.10 Tuesday 奇楽家本舗通信なつ様)
▽筆 たま毛筆(通称なのか登録商標名ではないようです-初音むつなさんより)ボディに「MARUEI」の文字。(2016.09.01 Thursday 奇楽家本舗通信なつ様)
▽消しゴム 開明墨汁消しゴム(2016.09.01 Thursday 奇楽家本舗通信なつ様)※砥部注 墨汁の香り、軽い消し心地(開明ホームページより)。

◆ストーリーが浮かぶ時:浮かばない時に風呂に行く。視覚に頼るから、いい景色、いい写真を見たら浮かぶみたい。1982年「えけれしゃ」

◆アシスタント経験:1980年の春頃から翌年の夏くらいまでZOOの会長か副会長の紹介。森脇真末味先生(1982.1.2 インタビュー「まんが宝島」)
一番初めに行った時、真っ白な見開きが回ってきた。作品は「おんなの子物語」初回。飛行機便に間に合わないとのことで、下描きなしで見開きを描きあげた。(砥部注:言われて「おんなのこ物語」の1話目を読み返してみると、確かに背景が他の話と全然違います)きっかけは、たまたま。そんなに親しくもなかったのに、自分しか時間が空いてる人間が居ないとかで。1982年「えけれしゃ」
山田先生について森脇先生の言「一ぺんしこたまケンカしたからね。最初はすごい反発あったから。 要するに自分のやり方と山田さんって大幅に違っていたんだよね違ってたんだけどわりと似たところがあった。根っこから違っていたら 別にどうってことないんだけど、どっかに共通点があるのにやり方が違う。何か知らんけどイライラしてね…」

◆アシスタント
●風狸(ふうり)けん先生(浜田芳郎先生):マーメノイドで一緒にお仕事。大学漫研の先生の後輩。

◆公認ファンクラブ:「不思議工房」現在解散。(初音むつなさんに情報をいただきました。)
◆後援会:「天空人」現在解散。「えけれしゃ」発行。(初音むつなさんに情報をいただきました。)

◆寄贈:京都
洛東自動車教習所には、昔パンフに使った四季をテーマにした先生の絵が飾ってあるそうです。
砥部注:2016年9月16日、閉所となりました。
(ne-neさんに情報をいただきました。)

◆ご縁:京都三条木屋町、歌舞練場の斜め前の筋の雑居ビル
「ルーム335」というジャズバーあり。そこには、「すうべにぃる」で写真絵のモデルだったゆかこさんがママやってるお姿が。店名の由来は、「ズバリ、ラリー・カールトンのアルバムのタイトル」だそぉです。
(ne-neさん・菜露様にに情報をいただきました。)
しかも、看板は菜露様の力作ということです。(1998年当時、菜露与糸可様に現物を前に。)

◆初恋:16,7歳、世界史の杉本先生、上は普通の洋装なのに下は駒下駄とか、毛皮の靴とか、美人なのに髪はひっつめ。1982年「えけれしゃ」

◆好きな女性のタイプ:
●日本美人。見目麗しい方がいい、情けがあって。意表をつく発言をする人。(1982年「えけれしゃ」)
●理想の女性像は−そういうのを持ってたら辛くて生きていけないですよ。全部失格だ、とか言いながら。(1982年「ぱふ10月号」)

◇嫌いな女性のタイプ:○髪染めてる人はダメ。かたつむりの夜泣き、いじいじしてるのは、あんまり好きじゃない。泣き言ばかり喋るのは困る。(1982年「えけれしゃ」)
○僕が描くようなあぁいう女性が(僕の)理想の女性だと思ってるらしいんですけどね、僕はああいう暗い女は嫌いですね。付き合いにくいでしょ。

◇困ったファン:自宅訪問してくる。電話をかけて来る。手紙に電話下さいと書いてある。1982年「えけれしゃ」

◆ペンネーム:使ったことはありました。一回。(1982年「えけれしゃ」)
別途表紙だけ担当した号があるはずとの情報も。しかも「山田章博」名義ではなかったという。(山科様から情報をいただきました)
1977年 大阪経済大学漫画倶楽部発行の「乱葉創刊号」にて「山田夕太」を使用。但し、この号では表紙・裏表紙に加えて目次、漫画「海辺の音楽」も掲載。山科様ご指摘のものとは違うみたいな…。

◆デビュー作:「ぱだんぱだん」(初出=1981年3月 アウト増刊号「阿蘭第3号」みのり書房)

●人物だけ描いていたりしたのは大体幼稚園位からです。(1982年「ぱふ10月号」インタビュー)
●絵を描く根源的な動機は東映動画。「少年猿飛佐助」とか。(2011年「季刊エス」インタビュー)
●小学校低学年のころ、ディズニー映画「王様と剣」を観て、アーサーが金床からエクスカリバーを引き抜くシーンを描いて映画館に送ったら、上映期間中ロビーに貼り出してくれた。(1994年「ロードス島戦記ファリスの聖女 I」)
●コマ割りは小学校四年生くらいから。「最初に描いた作品「(ダンテの)『神曲』なんですよ。なんでそんなもの読んだんでしょうね。たぶん絵がすごかったと思うんですよ、読んだとき頭の中に浮かんだ。」(1996年「コミッカーズ秋号」)
●コマを割って描き始めたのは、中学の終り位になると思います。最初に描いたのはSFとはちょっと言えない、モダンホラーだと思って描いていたんです。(1982年「ぱふ10月号」インタビュー)
●最初に描き上げた作品は、「流れ星」。内容はモダンホラー、21ページか22ページの作品。(1982年「えけれしゃ」)
●中学の時は「未来戦艦大和」って漫画を描いてた。高校でも、時代劇・スポーツ・SF・戦記もの。(1982年「えけれしゃ」)
●ストーリーマンガを描き始めたのは、中学3年生くらいの時(1982.1.2 インタビュー「まんが宝島」)
●高校の時にクラスで詩を書いている女の子がいまして、詩を視覚化してと言われて、初めてコマ割りした。最初の8枚くらいは彼女の詩で、その次にリルケの「薔薇」。(1982.1.2 インタビュー「まんが宝島」)
●「花とゆめ」に投稿。「ジョシュアのびっくり箱」という題で、画用紙の表裏に描いて出されたそうです(菜露与糸可様に情報をいただきました。) ※ 砥部注:後に「花とゆめ」の該当号が初音むつなさんによって確認され、タイトル等は掲載されない作品だったことが判明し、あれ?違ったかな?じゃマーガレットだったかもしれない、というお話で、宙に浮いてます。
●16才で「マーガレット」に初投稿。その後も漫画8作、イラスト10回以上、全て落選。(「コミッカーズ2004年秋号」インタビュー)

◆初めて見た漫画:杉浦茂先生の「猿飛佐助」(1982年「えけれしゃ」)

◆好きな作品:気に入った作品なんか描いたら、もう漫画家やめるんじゃないかな。1982年「えけれしゃ」
「レディ・ネットワーク」1984年「Qui Paan」
◆好きなキャラクター:「女子日常作法」の諸嬢。1984年「Qui Paan」
◆思い入れの深い作品:「ロードス島戦記」を挙げておきたいと思います。もちろん、私はたとえ1枚のイラストといえど、物理的な所要時間はともかく、メンタルな意味で手を抜くことはありませんので、思い入れない作品というのもありません。
「おぼろ雑想帖 解題」で山田センセが郷土資料館で読んだと記す民間伝承の「夜雀」、その妖怪話が掲載された本を見つけました。市原麟一郎「土佐の妖怪」(一声社/1977年刊)がそれ。「夜雀の話」は同書の「道に出る妖しの巻」の中に納められています。読んでみれば、内容的にはまあ他愛のない話だったんですが、「原話はどのようなものだったのかしらん?」と常々思っていたので、嬉しい発見でした(^^;)
なお、同書は「土佐民話の会」の機関誌「土佐の民話」(月刊)に掲載されたものから編まれたものとの事で、山田センセが郷土資料館で手にしたのは、年代的にもこの「土佐の民話」の方だと思われます。
2022/4/3 18:57 初音むつなさん
◆好きな漫画家:
●ひさうちみちおさんとか、高野文子さん好きですし、「早道節用守」とか、ひさうちさんでしたら、「パースペクティブ・キッドシリーズ」「悪魔が夜来る」が面白かった。(1982.1.2 インタビュー「まんが宝島」)
●ひさうちみちおさんとはお話しした事がありますけど、あの方はいい方ですよ。魔夜峰央さんにはご挨拶した事があります。竜巻竜次さん、鳥図明児さんとか、人脈バラバラ。(1982年「ぱふ10月号」)
◆好きな作品:高野文子さんの「早道節用守」。ひさうちみちおさんの「山本さんシリーズ」とかが好きです。小さい頃は近くに貸本屋がありまして、僕は貸本用に描き下ろされた作品が好きだったみたいですね。水木しげるさんとか。(1982年「ぱふ10月号」)

◆ファンタジー・イラストについて:異世界を絵で描くことを、映画の中の特撮と同義に考えています。

◆星雲賞:1996年 第35回日本SF大会 こくらのみこんにてアート部門を受賞(初音むつなさんに情報をいただきました。)
 2015年 第54回日本SF大会 こめこんでは再度アート部門にノミネートされるが受賞は逃した(初音むつなさんに情報をいただきました。)

◆好きなTV番組:「鶴、龍」「週刊えみぃショウ」「愛する二人、別れる二人」(いずれも1999年当時)

◆服
●夏と真冬は着物が多い。ブランド嗜好無し、バーゲン品ばっかり。(1982年「えけれしゃ」)
●コンタクトにした。生まれて初めて自分の素顔を見た。何か・・・ショックだった。(2000年「コミックバーズ12月号」)

◆印(イラストにサインでなく、印鑑をおされることも)
△えけれしゃ掲載の1981年10月9日付のイラストには「章」の角印。これ一度キリの使用か?
△デビュー前から1981年くらいまでは、市販の「山田」三文判を押印。
△1982年ころから逆彫(文字が白抜きになる)の縦に長い「山田」(亀甲意匠)を押印。
△あしべゆうほ先生にいただいた、正方形「山田章博」亀甲文字。(1993年「月刊OUT 10月号」)
△ローマ字のひと文字ハンコを組み合わせたような「AkIhiRo」の文字。(1995年「STUDIO VOICE9月号」「ASANO夫人の事」)

◆サイン(色紙にされるサインは昔から一貫してると思うんですが、イラスト中のサインは変遷)
△筆記体で「Akihiro Y」「La Famme Chinoise '79」に続けて、と単独記載も。1980年2月発行の同人誌「ZOO Vol.5」のイラスト内に。
△四角で囲んだ「章」の字と崩し字の「章博」のサイン。1981年12月28日発売の雑誌 「ふゅーじょん ぷろだくと 2月号」の「お正月三ヶ日は…」のテーマイラスト内に。
△四角に囲んだ「章」、但し象形文字風、すぐ下に「AKI」。1982年1月1日発行の雑誌「シネマ・ワンダーランド」の「「ピンク・フラミンゴ」論」のイラスト内に。
△草書の「章博」のサイン。。1982年連載の「歌草子」に多用。
△四角で囲んだ「章」、1982年5月10日発行のコミック 「人魚變生」後書きに。その後も、1983年2月10日発売雑誌「grape fruit 第8号」中国服女性のイラストに、12月10日発売雑誌「grape fruit 第13号」和服女性のイラストに、1985年から雑誌「獅子王」に連載の「ウエスタン武芸帳」に。
△筆記体で「Akihiro Yamada」のサイン、1983年8月下旬発売の雑誌「小説JUNE 第4号」「眩暈の夏」挿画に。
△崩し字の「章博」のサイン。1984年4月10日発行の画集「すうべにぃる」の「素描」内に。描かれた時期は古そおです。1985年4月9日発売の雑誌「ぱふ 5月号」第100号
△崩し字の「章博」のサイン。1985年4月9日発売の雑誌「ぱふ 5月号第100号」お祝いメッセージ内。従来の色紙のサインに近い感じ。

◆好きなアーティスト:
△After Dinner
△エルフィ・スカエシ(SIVAさんに情報をいただきました。)
△エンヤ
△カールスモーキー石井
△トッド・ラングレン
△ドリーム・シアター
△爆笑問題
△ブルー・マーダーペンタングル
△マンダラ・バンド
△メディスン・メン
△メリー・ブラック
△メリー・ポプキン
△ガーシュイン1982.1.2
△エリック・サティ1982.1.2
△ドビュッシー1982.1.2
○After Dinnerについて「彼らの音は世にも得難い香である。香のように燻らせることは出来ないが、残香として身のうちそとに纏いつくのである。」
 このCD、現在ロクスソルスという会社で販売しているそうです(井口卓士さんに情報をいただきました。)
○カールスモーキー石井について「のめり込む事に一抹の不安を拭いされぬまま、しかしあえて好きだと言ってしまいましょう。彼の巧まぬ「お水っぽいノリ」は僕の目指す芸のひとの究極のかたちだと言えましょう。心酔しております」−砥部注:「ひとの」ではなく、「ひとつの」と言いたかったんだと思います。
○高校の頃よく聴きました。やっぱり彼(トッド)はこの頃のコアでポップな感じが好きです。
○「漫画家から愛読者へクリスマススペシャルプレゼント」の企画でCD「魔法使いは真実のスター/トッド・ラングレン」に。(コミックバーズ2002.12月号)-2016.08.23

◆岩尾編集長:台詞やモノローグが全部筆による直筆なのは冒険的−という質問者のフリに応えて。あれはね、某編集者のせいです。仮で僕がネームに書いたタイトル文字をそのまま掲載しちゃったり。他からの仕事の依頼を勝手に断ったり。でも、僕を拾って育ててくれたし、描けない時も給料を払ってくれた。あの人のもとで描いたからこそ、好きにやらせてもらえて、自分の作風が守れたと思う。

◆影響を受けた人:一人に耽溺したら面白くないでしょ。1982年「えけれしゃ」
◆影響を受けた作家:グイド・クレパック、パリッシュ、ラッカム、フラウド、メビウス(2007.05.07 Monday なつ様 奇楽家本舗通信)

◆好きな作家:
△アーサー・マッケン1982年「えけれしゃ」
△アルジャーナン・ブラックウッド1982年「えけれしゃ」
△泉鏡花はほとんど読みました。松永延造「夢を喰ふ人」が面白かった。芥川龍之介。宮沢賢治。1982.1.2
△内田百間1982年「えけれしゃ」
△岡本綺堂1982年「えけれしゃ」
△香山滋1982.1.2
△チェスタトン
△小林秀雄(1983年「ひさうちみちお&やまだあきひろカ・ン・サ・イ・マ・ン・ガ・大全集」)
△永井荷風(1983年「ひさうちみちお&やまだあきひろカ・ン・サ・イ・マ・ン・ガ・大全集」)

◆好きな詩人:西条八十1982.1.2,北原白秋1982.1.2、山村暮鳥(1982.1.2 インタビュー「まんが宝島」)

●「オクスフォード版イングランドの民話集」子供の頃に誕生日の贈り物か何かで貰った。背表紙もカバーも取れてぼろぼろになっいる。(1986年「ふぁんたすていか」)
●思春期に好きだった作家について「ボードレールとかランボーとか、妙に破滅型の作家に憧れたりね。」(1996年「コミッカーズ秋号」)
●限られた読書量の中でも選ぶ本というのは何らかの視覚的な事物と関連している。十三歳の時に読んだランボオの詩集も装幀が気に入ったからであり、ボオドレエルの「悪の華」も或る映画がきっかけとなって十五歳の時に買って読んだ。著者の容貌も選ぶポイント。偏屈な爺さん、顔が痴れ者みたいだったりするのが良い。写真を見たことない作家は余り買わない。古典は別。西遊記は色々の種類の本を持っている(1983年「ひさうちみちお&やまだあきひろカ・ン・サ・イ・マ・ン・ガ・大全集」)
●1999年夏、オススメの怪談は「新耳袋1〜4」(菜露様に情報をいただきました。)
●初めて読んだH・P・ラブクラフトは「インスマスを覆う影」だった。(2002年「山田章博画集」)

◆音楽について:
●音楽の方の話なのですが、フィンランドの「ヴァルティナ」とかブルターニュの「ダン・ア・ブラース」などを聴いていると、民族的遺産というのは残るものではなく、継いでゆくものだという気がします。有形なものですら残すのは難しいのに、無形なものはそれ以上です。
●ガーシュインとか、エリック・サティとかドビュッシーとか。(1982.1.2 インタビュー「まんが宝島」)
●「ルネッサンス」「グリフォン」「ジュスロ・タル」などを聞いてファンタジーの世界に思いを馳せ、マンダラ・バンドの「The Eye of Wender」でファンタジー嗜好を決定的に。その後も、「ペンタグル」「メリー・ポプキン」「エンヤ」「メリー・ブラック」に傾倒。(1994年「ロードス島戦記ファリスの聖女 I」)
●インドネシアの歌姫・エルフィ・スカエシのCDを仕事中に聴いてます。どうもこういうのに抵抗力がなくて。(1996年「コミックバーガー1月号」)
●画材を買いに出た時CDを15枚程衝動買いしてしまったが、トライブ・オブ・ジプシーズやっぱ好きだわラテンロック。(1997年「コミックバーズ4月号」)
●郷里にいた60-70年代はそう簡単に洋書の画集も手に入りませんでしたから、ヨーロッパ産プログレッシヴ・ロックのレコードジャケットのイラストあたりが頼りでした。そのためか、私の中ではファンタジー・イラストレーションと音楽は容易に結びついてしまい、今でも絵にある種のノリみたいなものを出そうとする時は、徹底して音楽を聴き込むことがあります。完全にその世界の音だと認識するまで聴き込むので、それはもはやBGMなどといえるようなものではありません。かなり広範な分野の音楽を聴きますが、どんな時にどんなものを聴くかは企業秘密です。
●友人を出し抜いて買ってしまったレコードはshokingblueのmy blossom ladyだった。

◆楽器について:
△ギター=憂歌団の内田勘太郎が持ってるのと同じギターです。どんなの弾いてるのかなぁ、えーと、エイジア。(1983年「ひさうちみちお&やまだあきひろカ・ン・サ・イ・マ・ン・ガ・大全集」)
△大正琴=十六の歳に買って貰った。夜を日に継いで練習し「天然の美」「古城」「祇園小唄」「荒城の月」「影を慕いて」などが弾けるようになった。(1983年「ひさうちみちお&やまだあきひろカ・ン・サ・イ・マ・ン・ガ・大全集」)
△後にバイオリンも買った。(1983年「ひさうちみちお&やまだあきひろカ・ン・サ・イ・マ・ン・ガ・大全集」)
△大学在学中にシステムシンセサイザーのプログラミングをやってました(1982年「えけれしゃ」)
△家にはギターが三本あるのにもう四年以上弾いてない。お気に入りのブライアン・メイモデルが腐りかけている。(1996年「コミックバーガー2月号」)
△子供の頃、演歌師になろうと思ってバイオリンと大正琴を習った。最近はカリンバとエレピを買った。何て無節操。(1996年「コミックバーズ11月号」)

◆好きな童謡:赤い靴1982.1.2、しゃぼん玉1982.1.2

◆好きな映画:
△雨月物語1982.1.2
△怪談本所七不思議1991.3.15
△カリガリ博士1982.1.2
△ノスフェラトウ1982年「えけれしゃ」
△メトロポリス1982.1.2
△小さな悪の華(1983年「ひさうちみちお&やまだあきひろカ・ン・サ・イ・マ・ン・ガ・大全集」)
△中でも怪談本所七不思議は「おぼ探」の元になったと言われる程の入れ込み様です。
△「ポルターガイスト」が良かった。TVで再放送をやる50〜60年代位のハリウッドで作ったB級SF映画とかが好き。(1982年「ぱふ10月号」インタビュー)

◆好きな監督:溝口健二1982年「えけれしゃ」

◆好きな演劇:
△パントマイム、辻村ジュサブロー1982年「えけれしゃ」
△公演は見逃したが、いのうえ歌舞伎「母の忍者」のビデオにここんとこハマッている。いいよ、山田風太郎ぽくて。1982年「えけれしゃ」

◆好きな俳優:
△夏目雅子1982.1.2菜露様に情報をいただきました
△岩下志麻1982.1.2菜露様に情報をいただきました
△市川雷蔵1982.1.2菜露様に情報をいただきました
△岩崎ひろみ&田中律子&三浦理恵子2005.6.21菜露様に情報をいただきました
△チャン・ツィイー2005.6.21菜露様に情報をいただきました
△篠田正浩監督の「卑弥呼」のビデオを手に入れた。アダヒメ役の横山リエさんを僕はずっと好きでした。(1997年「コミックバーズ12月号」)
●鬼王丸(砥部注:BEAST of EAST)の実写版について「藤原達也か杉浦太陽クンにやって欲しい」とのこと。(菜露様に情報をいただきました。)2002.9.12
●龍騎の須賀クンもお気に入り(注:「仮面ライダー龍騎」主役の男優さんです)(菜露様に情報をいただきました。)2002.9.12

◆好きな怪獣
●ブースカ(2010.06.03 Thursday菜露様 奇楽家本舗通信)

◆好きな噺家:
●初代三遊亭円朝1991.3.15
●圓生や志ん生の怪談をよく聞いている。今夏もTVで怪奇番組をやってたけど、やっぱりホラーって横文字の感じ。(1997「コミックバーズ10月号」)

◆好きな画家:
△縄文人、古代ケルト民族
△月岡芳年、伊東深水(1982.1.2 インタビュー「まんが宝島」)

◆好きな絵:日本画の風景画、美人画1982年「えけれしゃ」

◆好きな言葉:「一緒に死んで下さい」
「人事を尽くして天命をあてにする」「果報は寝て待て」「馬鹿は死ななきゃ生きている」1982年「えけれしゃ」

言葉について「関西弁ってのはいいです。でも、ネームは美しい感じを出したいので標準語」

◆好きな時代:大正時代。明治からの和洋折衷が成熟期を迎え、面白い組み合わせというのがたくさん出て来た時代。外国では十九世紀末ぐらい、ウィーンとか東ヨーロッパあたり。1982年「えけれしゃ」(砥部注:19世紀末は、植民地戦争時代。東欧はロシアからの独立国が。オーストリアはドイツと結びヨーロッパ内で軍事的優位に。1888年ロンドンで切り裂きジャック事件。オリンピック始まる。フロイト「夢判断」刊行。)

◆集めてるもの:古けりゃいいわけではなくて、周りのバランスを考えながら集めてます。
僕は単に使い込まれた物が好きで、そういった調度や親父の着古しなども大事にしている。
マッチ箱2000個(1982年「えけれしゃ」)

◆好きなもの:入浴剤(03/08/06 23:57:18柘榴さんが菜露様とお茶した後のコメント)

◆好きな煙草:
CASTER
1日3箱。普段はマイルドセブン、ときたまラークやロスマン。キセルもあり。(1982年「えけれしゃ」)砥部注:正しくはロスマンズ。キングサイズが1999年頃、ロイヤルが2010年で販売終了。(ウィキペディアより)

◆特技:ひさうちみちお先生・古谷徹の物まね。陳家太極拳、中途断念(1982年「えけれしゃ」)

◆創価学会:第47回広布文化賞受賞。(2023年11月3日付「聖教新聞」)

◆食べ物
●和食党。てんぷら定食。(1982年「えけれしゃ」)
●嫌いな食物は、あんまり青物が好きじゃない。肉類は鳥がだめ、皮が一番嫌い。(1982年「えけれしゃ」)
●ネギ嫌い、玉ネギ嫌い、それで中華料理が好きやねんから。(1982年「えけれしゃ」ももんがあ先生)
●タマネギその他葱類・鳥・豚・脂身、が食べられない。(2016.12.16 Friday菜露様 奇楽家本舗通信)

◆酒について:
●初めて飲んだのは五歳の正月。うまかったため、大人になって病みつきになったらやばいと控えた。(1983年「ひさうちみちお&やまだあきひろカ・ン・サ・イ・マ・ン・ガ・大全集」)
●日本酒党。1合半くらい飲みます。原稿上がった時に家で飲む。他人に危害は加えません。(1982年「えけれしゃ」)
●僕は殆ど酒を飲まない。夏には麦酒を、冬には日本酒のお湯割りを気が向いた時に少し飲む位である。お付き合いで飲む場合もあまり度を越さないようにしている。そして二十三歳の時、ある運命判断をする人に見て貰ったら「あなたは酒で身を滅ぼすかも知れない」と言われて前途の危惧に拍車をかけた。さらに僕が酒を飲むと、困った事態が出来する。同性愛者の趣味をお持ちの中年男性の気を引いてしまうのだ。(1983年「ひさうちみちお&やまだあきひろカ・ン・サ・イ・マ・ン・ガ・大全集」)

◆座右の書:新漢和中辞典・「オクスフォード版世界の民話シリーズ−イングランドの民話」

◆クセ:髪いじる(1982年「えけれしゃ」)

◆嫌いなもの:雷。(柘榴さんに情報をいただきました。)京都は凄い雷雨が数日間続きました。恐いものは余り無いつもりだったけど、雷だけは幼児体験のせいで、どうも苦手。(1996年「ザ・スニーカー8月号」)
この頃夕立で雷が鳴る。僕は時々絵に描くが雷は大嫌い。大体死んだ振りしているね。(2000年「コミックバーズ8月号」)

◆嫌だったこと
●人生のワースト・スリー、3位は画集の発売、2位はおたふく風邪で小学校の遠足(筆山公園−ひつざん−高知県高知市筆山町)に行けなかった上に、その姿を丸顔のマルチーズと評されたこと、1位は小学校初登校、行きはバイクで送って貰ったため、帰り道が分からず漏らしたこと。(2002年「山田章博画集」)

◆運動
●去る9月21日、徹夜明けをおして山田章博、区民運動会に出場。町内対抗レースで大活躍。一升瓶水入れ競技、ボール運び競技では華麗なドリブルを披露。が、いずれも参加賞に終わる。(笑)個人競技では、新聞輪くぐりにて、前半を三位で疾走。8つ折の新聞をちぎって器用に2つの穴(新円)を創作。開いてその美しい円形に見とれている間に最下位に;急いで追いつき5位入賞。他、多数出場。案外足が速いです。 菜露は得意のラムネ飲み競争に出場。最下位でラムネにたどり着き、一番に飲み干しまして、2位の人に蹴倒され、3位の人に突き飛ばされ、3位入賞。(笑)走るのがもの凄く遅いです;; そこここで、体育祭のシーズンですねぇ。台風が過ぎて、突如寒くなりました。皆様、お体にはくれぐれもお気をつけてネ♪(03/09/23 11:52:23菜露様)
●山田先生俊足説検証:徹夜明けに無理すると後で堪えます、お大事に。さて、御本人に近しい筋の話に依ると、小学校時代から実は足は早かったらしい。普段、ポーッとしているので誰もそうとは思いも依らず、体育の授業で50m走を計測した時、あまりに早かったので教師が「ストップウォッチが壊れたか、操作ミスだろう」と思い、再度計測。しかし何度測っても早いものは早い。何度目かにさすがに疲れて落ちたタイムを見て、「うん、こんなもんだろう」ってあんた酷いよ!!ってえ話があるそうです。でも無理はいけませんよ?!菜露さま、大事な金の 卵を生む鶏、大切に監視せねば!ってね。失礼しました。(03/09/24 11:44:44案山子さん)


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